2012/06/05
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スポンサーサイト2009/11/07
194・美しい手紙
沢戸冬木さんから、分厚い封書のお手紙をいただいた。
このように美しい、ていねいなお手紙を送っていただくのは、これでもう何度目になるだろうか。
すべて私の財産として、たいせつに保管させていただいている。
肉筆文字の手紙は単なる通信ではなく、贈り物です、というようなCMがあったが、まさしくそのとおりである。
花模様のついた二色刷りの、いかにも女性らしいきれいな便箋十一枚に、ぎっしりと心のこもったペンの文字。
パソコン文字の無味乾燥な記号とちがって、その文字の一字一字を見ただけで、冬木さんの心臓の鼓動と、体温と、表情を感じる。
手で書かれた文字には、やはり魂がこもっています。彼女の肉体を流れる血の色と、血の熱さを感じます。
そのお手紙の中で、この「ナイショ話」に掲載して適当と思われるところ、彼女の迷惑にならないところだけを、紹介させていただく。
この文章は、もちろん冬木さんへの返信ですが、同時に「緊縛」に対する私の考え方をのべているところは、いままでどおりです。
かさねていえば、冬木さんへの返信の形を借りた私の「緊縛」論ということになります。
そこでまず、彼女の手紙の終わりのほうの部分から、紹介させていただこうと思う。
「……私の方は、ついに企画を実現させ、日々せわしなく動いております。企業家として、経理から営業、技術をも含め、何から何まで一人でやらなくてはならないので、やはりそれなりに大変で、ふと時間に隙間ができたときなど、心が折れそうになることもあります。
自分の選んだ道であると、気丈に振舞っていても、どうしても、しんどい時があります。そんな時、私は先生に頂いた写真集を、そっと開きます。そこには、私の胸をこの上なく、切なく苦しく、安らかで、穏やかで、自身の明日を生きる糧になる先生の詩があります。安易に表面上を追うような表現などしたくないのですが、
『死ではなく詩だからこそ、あなたはそんなに哀しい顔をしなくてもよい』
の一行は、私に強い強い勇気を与えて下さるのです。(以下略)」
山芽史図の写真集に添えてある私のその「詩」を、つぎに書き写してみる。タイトルは「この縄は」である。
この縄は 詩です
いいえ 死ではありません 詩です
この縄は いつも微笑をたたえている仮面です
この縄は いつもほんのりかぐわしい
この縄は うすむらさきに咲く花です
この縄は 秋のおわりのこおろぎの吐息のように
細くしなやかに 女の肉体から
やさしい詩を つむぎだします
ですから死ではなく 詩です
というわけで あなたは
そんなにかなしい顔を
しなくてもよいのです
冬木さんの私への手紙はまだまだつづく。
2009/10/22
193・冗談じゃない
なんだって?
「緊美研は変わってしまった、様子を見る」
だと?
おいおいおいおい。
冗談じゃない。
様子を見るだと?
どうやって様子を見るのだ。様子とはなんのことだ。
緊美研は変わってはいない。
あいかわらず、濡木痴夢男が、ヒトラーの如く、すべての演出をやっている。
悲しいくらいに変わっていない。
いや、いまテンションが上がっているから、以前の緊美研よりも、さらに、私なりのきびしさを増している。
通俗的エロティシズムを極力排し、マニア精神を深めている。
いまの緊美研は、以前の緊美研よりも内容が豊かに、凄くなっている。迫力が増している。
たとえば、前回の例会の、冬木さんに対する言葉なぶりは、われながら過激だった。
「この縄で縛ってくださいと言ってみろ。お願いしますと言ってみろ。なに?聞こえない。もっと大きな声で、縛ってくださいと言ってみろ。もう一度言え、もう一度言え!」
私は彼女に、ありったけの気合をこめてせまった。
ぎりぎりの限界まで追いつめた。
真剣勝負だった。
彼女は、こういう「芝居」ができないモデルなのだ。いつも本気なのだ。
プライドの高い彼女は、あのとき私が、鬼のように見えただろう。
犬のようにうずくまって私を見上げる彼女の目が、恨みと憎悪で一瞬光った。
いま思っても、あの言葉なぶりのシーンは凄かった。
(じつは、ちょっと後悔している。またやれと言われても、同じようにはできないだろう)
冬木さんのリアクションがまた、おそろしいほどマゾヒスティックでよかったから、つい調子にのって、私はさらにしつこく、くり返してやってしまったのだ。
沢戸冬木という、これまで類をみなかったすばらしいモデルの出現は、私の実際的SM心理探求の精神を、一歩奥へ深めてくれた。
私になぶられ、縛られたその屈辱と恨みをこめての彼女の凄絶な切腹(と私は勝手に妄想し、物語をつくった)。
そして、会員の駒井さんがわざわざ買ってきてくれた、おそろしくマニアックな全身タイツをつけて私に縛られた悠理の妖艶な美しさ。
プロローグには、Rマネとみるくとの「正統的」スパンキング。
なんと豪華な内容だったろう。
以前の緊美研の二倍三倍の強烈な楽しさがあった。
私と女性たちのその演技を見守り、撮影する会員諸氏の全体のムードも、まったく以前の緊美研と同じである。
だからみるくよ、心配するな。私はみるくを信じる。あの小さなショーツに包まれた白いフニャフニャしたお尻が、強烈なスパンキングをうけて無残に赤く変色し、それを悩ましく悶え耐えているみるくの可憐な姿を見たら、だれだって信じないわけにはいかない。
それを命じ、やらせたのは私だ。
私がいるかぎり、緊美研は以前と同じ緊美研だ。私がいなくなったら、緊美研はその日から変わるかもしれない。だが、いまの緊美研は、私自身だ。緊美研の内容を左右するのは、みるくではない。私である。
2009/10/21
192・仲間と他人の違い
緊美研の例会に参加してくださっている会員の方は、みるくと直接会い、会話も交わしている。みるくが接待や撮影の手伝いをしている姿も、前回の例会では、セーラー服で縛られ、スカートをまくられ、お尻を叩かれている姿も見ているので、いってみれば、彼女とは顔なじみになっている。
知らない人にはとても見せられない、お尻が赤く腫れあがっていくところも、彼女は見られてしまったのだ。
そんなところまで見られてしまったのだから、見た人とみるくとは、誇張していえば、もう他人ではない。
気どった言い方をすれば、同じ密室の中で同じ空気を吸った仲間であり、共犯者なのである。共犯者の言葉は信用できる。
共犯者ともいえる仲間と、そうでない人との差は大きい。
私のところへきたみるくの、こまかくていねいに、そして心のこもった美しい楷書のペン字で書かれた文章のつづき。
「……もちろん先生は、インターネット等には興味がないと思いますが、私が作ったホームページや文章を見て、匿名の『古い会員』を名乗る方から『緊美研は変わってしまった。様子を見る』とか、クレームを受けるようになりました。メールで寄せられる『電子文字』でのクレームは悪意ばかりが浮き彫りになっています。私はお互いの表情の変化や想いなどを聞き、話したいと思っています。
『いま』を良く思っていない『古い会員さん』にお会いすることはできるのでしょうか。
私の書いたことについて謝罪したいと思います。最近、そのことばかり考えています。
『私のせい』で緊美研が悪く思われてしまうのはつらいです。なんとかしたいです。
こんどのお芝居のチケットを送って下さり、ありがとうございました。お芝居の稽古、撮影のお仕事、原稿の執筆などお忙しいと思いますが、お体にはお気をつけ下さい。元気でいてくださいね!」
個人的情報に類する部分はカットしたが、みるくからの手紙は、以上である。
みるく個人への返事をする前に、このナイショ話で、私の考えをのべておく。
「匿名の古い会員さん」に、あなたは会う必要はありません。会っても無駄です。
会おうと思うことさえ、私には腹立たしい。
大体、匿名というのは、自分自身を匿したいから匿名にするのでしょう。
どこのだれともまったくわからない、いるのかいないのかわからない人間が書く文章など、私は、むかしの公衆便所の壁によくあった落書きだと思っています。
こんなことをいうと、Rマネに、
「そうではありません。たとえ匿名でもネットの電子文字でも、文章の質によりますよ」
と注意される。
ハイハイと私は聞いているが、心の底ではやっぱり便所の落書きだと思っている。
便所の落書きの筆者に、みるくは会いたいと思うのかね。匿名の人間は仲間ではない。
便所の落書きだから、なんでも書ける。
「古い会員」というのも、たぶんウソだと思うよ。匿名の人を仲間だと思ってはいけない。
濡木痴夢男の弟子だと言っている人が、あちこちにいるそうだ。ふしぎなことに、私の弟子だという人が、全国にちらばっている。
私には弟子なんて、一人もいない。
みるくの手紙についてのナイショ話はこの回で終わる予定だったが、だんだん腹が立ってきたので、まだつづけることにする。
2009/10/18
191・当分死なないでね
みるくから来た長い長い自筆の手紙は、まだつづく。いま、ようやく全文の三分の一だけを紹介したところである。
つぎは、いきなり私、つまり濡木自身のことになる。
とんでもないことが書いてある。
「……ところで、先生はよく『もう先がない』『時間があまりない』などと、悠理さんあてのFAXやナイショ話でおっしゃっていますね。最近、ぼんやりですが、そのことを考えております。
先生は能力も行動力もあり、とてもお元気(パワフル)なので当分死なないという確信はありますが、それでも、私より先に逝ってしまうことは確かですよね。私は自分がそれほど長く生きられるとは思わないのですが、先生が死んでしまう、死んでしまったあとのことを考えると、どうようもなくさみしく、悲しくなってしまいます。だったら先生より先に死にたい、と思うこともあります。
先生の中にあるたくさんの才能がなくなってしまうのはとても残念で、ひとつの時代の終わりを感じます。
『100歳まで生きてね』と約束していた祖母は、6年前に71歳で病気で亡くなりました。その2年後には、飼っていた猫も死んでしまいました。自分の中のたくさんを占める人が『いなくなってしまう』のはとても悲しく、つらいです。……」
このあたりまでくると、ゲラゲラ笑いだしてしまった。
おばあちゃんが亡くなったのは、ご愁傷さまと申し上げねばならないが、私が死ぬのと飼っていた猫が死ぬのと、同質に悲しんでくれるのは、なんとも言いようもなくおもしろく、もう笑うより仕方がない。
思わずアハハと笑ってしまう。おそらく実感なのであろう。皮肉ではなく、みるくはまことに正直な少女である。
「……いままでと同じテンションで、長生きして下さい。私よりずっと元気な先生がある日『いなくなって』しまったら、きっとその部分の心もなくなってしまいます。ずっとお元気で。……」
いままでと同じテンションで生きてくれというのは、無理だと思うよ、みるく。
すこしずつ、テンションは下がっていくだろう、年とった猫のように。
だが、テンションが下がった分だけ、テクニックその他の頭脳的な部分は経験をつみ、したたかになっているはずだから、そこはうまく捕らえると思うよ。
さて、みるくの自筆の手紙の、つぎの章になると、内容が俄然、彼女にとって深刻なものになる。
私も一緒に考えなければならないような、彼女の悩みである。
あるいは、これが訴えたくて、みるくは私に手紙を書いたのではないかと思われる。
「……あと、先生に言うのはまちがっているのかもしれませんが、また新しく緊美研をはじめよう、と動き出してから、私は本格的に不二企画のお仕事に携わるようになりました。それまでも悠理さんのお手伝いをしたり、事務的なことはしていたのですが、こんどは正式に加わったという形になりました。
今年の3月に新しい不二企画、緊美研のホームページがオープンし、再開後に初めて参加された会員さんは、どなたもそこを見て申し込んで下さったのです。……」
2009/10/17
190・自然のままがいい
米粒のようなこまかい文字で、便箋四枚にぎっしりと書き込まれたみるくの手紙は、スパンキングから、ふたたび私の「縄」のことになる。そして自分のこと。
「……先生の縄は、体験できてとてもよかったです。ですがやはり『私じゃだめだ!』という思いが常にあり、はずかしいという気持ちはべつにして、会員さんの目、感じていること(つまらない……など……)が気になって気になって、集中することができませんでした。私は私で、裏で緊美研を支える(これから支えたい)のが一番合っているのだと思います。これからもスタッフとしての業務をがんばっていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。」
そうかあ。あのとき、私に縛られながら、みるくはそんなことを考えていたのかね。
フーン、なるほどね。
みるくのような女の子は、ああいうとき、そんなふうに考えるのかね。
ちっとも知らなかった。
初めて縛られた姿を、会員のみんなに見られて、恥ずかしいから、黙ってうつむいて立っていたのかと思った。
でもね、みるくよ。
あれは、あれでいいのだ。
会員たちは、あのみるくの自然に反応する姿を見て、みなさん好感をもたれたと思う。
初めて縛られた女の子の本当の姿なんて、めったに見られるもんじゃない。
たとえば、セーラー服で縛られたみるくが、いきなり「縄」に感じて、妙な声をだして腰をくねらせ、泣いたりうめいたりしてごらん。
みんな、シラケるよ。
そういう作られたシーンは、AV系のSMビデオなんかに、山ほどある。
初めて縛られるモデルでも、撮影の現場では、ああしろ、こうしろと監督に命令されて、クライマックスには形どおりに男優に犯されるシーンになり、本当の恥ずかしい姿は、いつのまにか消滅してしまう。
そういう「淫乱女高生もの」が好きな人もいれば、その種の映像に飽き飽きしてしまった人もいる。はじめから興味を示さない人もいる。
類型的に作られたものに満足できない人こそが、緊美研の同志なのだ。
そして、羞恥ととまどいを内側に秘めたみるくの姿を見て、ひそかに興奮する。
これは、他では味わうことのできない、貴重な快楽なのだよ、みるく。
だから、これからも私は、みるくをモデルとして、ときどき例会に登場させようと思う。たいせつに、じっくりと縛ろうと思う。
縄の経験をかさねていくうちに、いまの楚楚とした風情のセーラー服姿のみるくが、どういうふうに変化していくか、あるいは変化しないで、いまのままのみるくでいるか、それを楽しみの一つにしようと思う。
この楽しみを、緊美研の会員諸氏とともに味わいたい。
「残酷拷問我慢大会」的映像にくらべると、ずいぶん趣向はちがうが、刺激的であることにはまちがいない。
みるくが緊美研の裏方の仕事にはげんでくれることは、もちろんたいせつで、ありがたい。こういう特殊な仕事の業務というのは、たとえ裏方といえども、本当にこの世界が好きでないとつづかない。SMがすきだと言いながら本当は嫌いで、いつのまにか離れて行った人を、私は何人も知っている。
みるくの自筆の手紙は、まだまだつづく。
2009/10/16
189・無言劇のリアリズム
濡木痴夢男に縛られると、
「縄と空間に守られている感じで、とても居心地が良い」
というみるくの実感(だろうと思う)の解釈はすこしあとにして、さらに彼女の手紙のつづきを紹介する。
「……先生がナイショ話で書かれていたように、Rマネさんが本気で私のおしりをたたいてくれました。3発目がヒットした頃、『スパンキングってこんなに痛いのか!』とおどろくと同時に、自分が出てみたいと言ってしまったことを少し後悔しました。それは身体的な苦痛から逃げたいという理由ではなく、高いお金を払って参加して下さっている会員さんのことを思って、です。先生が『無言劇でいこう』とおっしゃったからか、もしくはご自分の立場(公的な施設の責任者であること)を考えてか、Rマネさんは一切声を出さずにたたきつづけてくれました。
その場に適した(お仕置き的な)台詞のようなものがあれば、私はそれに応えて言葉を吐くことも出来たかもしれません。ですが『無言劇』……そのことがずっと頭の中にあり、私ひとりの判断で何か言ってしまったら、場がしらけてしまうのではないかとそればかりが気になり、結局誰の耳にも届かない、『ぅぐっ』とか『ぎっ』とかのただの『音』のようなものしか喉から出てきませんでした。」
フーン、そうかあ。「無言劇でいこう」なんて、私、言ったのかね。
こう書いてあるのだから、言ったのだろうなあ。
でも、この無言劇は結果的によかった、たいへんによかったのだよ、みるくちゃん。
あのRマネの真実感みなぎる完ぺきなスパンキングに、つくられたセリフなんかで応えられたら、興奮度もおもしろみも半減する。
たしかに「無言劇」という「劇」ではあったが、あのリアリズムは戦慄的に凄かった。めったに見られないものだった。
私はね、みるくちゃん、長いあいだこういう仕事をしているせいで、こういうシーンに何千回も接しているのだよ。
何百回ではなく、何千回だよ。ウソみたいだ。ウソみたいではなく、バカみたいだ。気が遠くなるような回数だ。
その私が、最高のスパンキングだったと言うのだ。
この評価の大半は、あの格調高い、毅然とした美しい姿勢の正確なRマネの平手打ちにあったのは確かだが、それに素直に応えたみるくを、つまり、私は褒めているのだ。
(ついでに嫌味なことを記しておこう。私が過去に見てきたスパンキング、ムチ打ちの類は、格調を持たない男優が、ことさらに下品なポーズをつくり、女のハダカの尻をなでまわし、猥雑な叩き方をするものがほとんどだった。監督に褒めてもらいたくて、打ち殺すほどの勢いで、力まかせに叩く男優もいた)
あのシーンで、用意された俗っぽいセリフを言ったり、ぎゃあぎゃあ大げさに泣きわめいたりしたら、みるくの魅力は半減する。
そうだよ、あのときのみるくの小さな小さなうめき声、なにやら模様のついた白いショーツに包まれた白い柔らかそうなフニャフニャしたお尻の肉感、Rマネの手で叩かれて赤みが増していく過程、苦痛を耐えてがんばっている太腿、足。すべてに魅力があり、官能的だった。
そして私は、お尻を叩かれている少女のこの素直な感想文を読むことができたのはうれしかった。
みるくの手紙はまだまだつづく。
「縄と空間に守られている感じで、とても居心地が良い」
というみるくの実感(だろうと思う)の解釈はすこしあとにして、さらに彼女の手紙のつづきを紹介する。
「……先生がナイショ話で書かれていたように、Rマネさんが本気で私のおしりをたたいてくれました。3発目がヒットした頃、『スパンキングってこんなに痛いのか!』とおどろくと同時に、自分が出てみたいと言ってしまったことを少し後悔しました。それは身体的な苦痛から逃げたいという理由ではなく、高いお金を払って参加して下さっている会員さんのことを思って、です。先生が『無言劇でいこう』とおっしゃったからか、もしくはご自分の立場(公的な施設の責任者であること)を考えてか、Rマネさんは一切声を出さずにたたきつづけてくれました。
その場に適した(お仕置き的な)台詞のようなものがあれば、私はそれに応えて言葉を吐くことも出来たかもしれません。ですが『無言劇』……そのことがずっと頭の中にあり、私ひとりの判断で何か言ってしまったら、場がしらけてしまうのではないかとそればかりが気になり、結局誰の耳にも届かない、『ぅぐっ』とか『ぎっ』とかのただの『音』のようなものしか喉から出てきませんでした。」
フーン、そうかあ。「無言劇でいこう」なんて、私、言ったのかね。
こう書いてあるのだから、言ったのだろうなあ。
でも、この無言劇は結果的によかった、たいへんによかったのだよ、みるくちゃん。
あのRマネの真実感みなぎる完ぺきなスパンキングに、つくられたセリフなんかで応えられたら、興奮度もおもしろみも半減する。
たしかに「無言劇」という「劇」ではあったが、あのリアリズムは戦慄的に凄かった。めったに見られないものだった。
私はね、みるくちゃん、長いあいだこういう仕事をしているせいで、こういうシーンに何千回も接しているのだよ。
何百回ではなく、何千回だよ。ウソみたいだ。ウソみたいではなく、バカみたいだ。気が遠くなるような回数だ。
その私が、最高のスパンキングだったと言うのだ。
この評価の大半は、あの格調高い、毅然とした美しい姿勢の正確なRマネの平手打ちにあったのは確かだが、それに素直に応えたみるくを、つまり、私は褒めているのだ。
(ついでに嫌味なことを記しておこう。私が過去に見てきたスパンキング、ムチ打ちの類は、格調を持たない男優が、ことさらに下品なポーズをつくり、女のハダカの尻をなでまわし、猥雑な叩き方をするものがほとんどだった。監督に褒めてもらいたくて、打ち殺すほどの勢いで、力まかせに叩く男優もいた)
あのシーンで、用意された俗っぽいセリフを言ったり、ぎゃあぎゃあ大げさに泣きわめいたりしたら、みるくの魅力は半減する。
そうだよ、あのときのみるくの小さな小さなうめき声、なにやら模様のついた白いショーツに包まれた白い柔らかそうなフニャフニャしたお尻の肉感、Rマネの手で叩かれて赤みが増していく過程、苦痛を耐えてがんばっている太腿、足。すべてに魅力があり、官能的だった。
そして私は、お尻を叩かれている少女のこの素直な感想文を読むことができたのはうれしかった。
みるくの手紙はまだまだつづく。
2009/10/15
188・縄に守られる感じ
緊美研スタッフの一員であるみるくから、自筆の手紙がきた。
電話でしゃべればすむところを、わざわざ肉筆(それもじつにていねいな楷書で、感動的に小さな文字なのだ!)の手紙である。
みるくは、私が肉筆の手紙を好むことを、よく知っているのだ。
それにしても、なぜこんなに、米粒のような小さな文字を書くのだろう。
ふつう書く文字の四分の一位の大きさである。
こんなにこまかくていねいに書いていたら、目が疲れ、近視になってしまうのではないかと心配になる。
(もうすでに近視眼になっているのかもしれない)
手紙の内容は、いかにも文学少女のみるくの書く文章であり、個性的でおもしろい。
とくにおもしろいと思ったところを、ここに記録しておきたい。
(このナイショ話もやがては一冊の本にまとめるつもりなので、その予定で書いている)
初体験直後の少女(正確にいったら少女ではないのだろうが。笑)の素直な感想を、記録しておくのは、私にとってもたいせつなことである。
「……新米スタッフの私にいろいろと指示してくださり、また、はじめての縛りをありがとうございました。
おしりのあざも、腕についた縄の痕もほとんど消えてしまいました。
もっときつくしてもらえば長もちしたのかな、などと考えています。
先生に縛ってもらうことは、やはりあこがれだったので、とても嬉しかったです。
当たり前ですが、今まで感じたことのない世界が広がりました。そして、先生の縄と空間そのものに守られているようでとても居心地良く、安心しました。……」
私はこれまで「縛られると、閉ざされていた心が自由に広がります」という意味の言葉を、多くのモデル女性たちの口から聞いているが、「縄と空間に守られている感じ」というのは、このみるくが初めてである。
「閉ざされていた心が自由になる」というのは、縛られた自分の姿、感覚に、それまでの既成の観念や、道徳的な制約を超越したものを感じた、ということなのだろうと、大体の察しはつく。
だが、「縄と空間に守られているようで、とても居心地良く、安心した」というのは、残念ながらよくわからない。
みるくと顔を合わせたときに、
「教えてくれよ、どういう意味?」
と、きいても、みるく自身も、うまく答えられないのではないかと思う。
ふつう、一般的な観念ではね、女が男に縄で縛られたら、その男に、つぎは無理やり足をひろげられて凌辱される運命が待っているものなのだよ、みるくちゃん。
いわゆる「SM雑誌」というものは、その凌辱現場を想定しながらつくられ、大方の読者もそれを空想するために買って読む。
それなのに「縄と空間に守られている感じがする」という逆の感覚は、きわめて個性的で、私には興味がある。おもしろい。
このみるくの感覚が、これから先「縛られる経験」をかさねていくうちに、どういうふうに変化していくのだろう。緊美研の例会にこられる会員の方は、私と一緒にこの少女の変化を、現実に目の当たりに見られるわけである。みるくの手紙はまだまだつづく。
2009/10/14
187・言葉なぶりの刺激
このあと、冬木さんをモデルにして、きびしい縛りのシーンが展開されたのですが、肉体が味わうその苦痛よりも、彼女にとっては、プロローグの「言葉責め」のほうが、つらかったにちがいありません。
私自身、あんなにも長く、しつこく、自分の足もとに膝まづいたモデルを見下ろしながら、
「どうか私を縛ってください、と言え!」
などと命令したことはありません。
こういう演出は、過去に何度かやりましたが、それは緊縛シーンの導入部としての短い時間のものでした。
それが今回、冬木さんに対しては、くり返し、くり返し、自分でもあきれるくらい、執拗にやったのです。
そして冬木さんは、この私の「熱演」に応じて、しっかりと、私のイメージどおりに、いや、イメージ以上に、屈辱に耐える女を表現してくれたのです。
あれはまさしく「刃傷松の廊下」における高師直(こうのもろなお)にいじめられる塩治判官(えんやはんがん)でした。
(どうも私のイメージは、すぐに芝居と重なってしまう。笑)
え、なんですって?
あれは演技とか、意図した表現なんかではなく、私の地のままの姿ですって?
そうでしょう、冬木さん。そうだと思います。
地のままの、つまり本心の姿。
だからよかったのです。
ひとかけらのウソもない、真実味がありました。
あの異様な、陰湿な迫力シーンは、私にも冬木さんにも、二度と演じられないものだと思います。
張り詰めたSMムードの、一種の究極といっていい位のものです。
じつは、私は心のやさしい人間なので、ああいうシーンは、本当は苦手なのです。
演じていて(私の場合はすべて演技です)つらい思いのほうが強いのです。
女体に対して、毎回過酷なポーズを行う私ですが、そういう荒々しい責めのテクニックよりも、
「縛ってくださいと言え!」
などと偉そうに命令することが、私にとってはつらく苦しいのです。
ということは、この「言葉責め」あるいは「言葉なぶり」のほうが、肉体に加える縛りや責めよりも、SM味が濃いということなのでしょう。
SM味が濃いというのは、「SM快楽」が強いということです。つまり、見る側にとっては、おもしろい、刺激的だ、興奮する、ということです。
アクロバットみたいに、やたらに手足をのばしたり、折ったり曲げたりして縛ってみせることよりも「言葉なぶり」のほうが、はるかに刺激の強い場合がある、というこの事実。
これは冬木さんを相手にしなければ、私が味わえなかった体験でした。
このシーンも、私にとって貴重な映像となりそうです。
Rマネの本格的な美しい「お仕置きスパンキング」といい、人妻ひさ子さんの夫の目の前で反応した、あの人間味あふれた真実の姿といい、そして「言葉なぶり」の屈辱に耐える冬木さんのあの悶え方といい、このあと、同じものを見ようと思っても、もう二度と見ることはできません。無理にやらせても、ちがうものになるでしょう。だから、ライブはおもしろいし、刺激的なのです。
2009/10/14
186・背徳の美味
人妻ひさ子さんへの縛りは、しかし、わずかな時間であった。
十五分か、せいぜい二十分間程度だったろう。
いわば客席にいたひさ子さんを、なんの前ぶれもなく、いきなり舞台へ引っ張り上げてしまったのだ。
(彼女とも彼女のご主人とも、この日が全くの初対面であった)
彼女がどんなに縄に酔い、いい気持ちになっていようとも、長く縛っていては失礼になる。
(ここまでやっていて、いまさら失礼というのもおかしいけど)
夫の前でいきなり他人に縛りあげられる人妻。
その自分の愛妻(緊美研の集まりに妻を誘ってくるほどの夫です、愛妻家にきまっている!)が、初めて会った怪しげな男(私のことです)に、むごたらしく後ろ手に縛られていくのを眺めている夫。
短い時間だったけど、ホンモノのSM味をたっぷり味わわせていただいた。
「見ていて、いちばん興奮したわ。ひさ子さんを見ていたら、なんだか自分までが恥ずかしくなり、どうしよう、どうしようと思った。刺激的だった」
とRマネが目を輝かして言った。
カメラマンのシズちゃんも、
「あれは凄かった。私はご主人の様子が気になって気になって、ご主人の顔ばかりうかがっていたわ」
と言った。
ひさ子さん、ありがとう。またきてください。ご主人と一緒に。
ご主人がいてくれないと、あの緊張感、感動、陶酔感は味わえない。
(あなた一人がきて私に縛られるよりも、やはりご主人がそばにいたほうがいい。スミマセン、勝手なことばかり言って)
SMとは、「背徳」の薬味をパラパラッとふりかけたときに、ホンモノの陶酔感が味わえるのです。
いくらハダカにして大股びらきに縛ってみたところで、それは結局形だけのアクロバットにすぎない。
SMとは「形」ではないのです。やっぱり「心」なのですよ。
「背徳」といえば、今回、冬木さんに対してやった「言葉責め」も、みなさん、きっと異様な迫力と、緊張感、そしてSM味を感じとってくださったにちがいない。
美しい冬木さんを、醜い私の足もとに膝まづかせ、
「おねがいです、どうか、この縄で私を縛ってください」
と言わせた、あのシーンです。
さんざんためらった末に、口ごもりながら彼女は言いましたね。
「おねがいです、私を縛ってください」
プライドの高い美人の彼女にとって、これほど過酷な、哀願のポーズはないでしょう。
しかも私は、
「えッ、聞こえない、もっとはっきり言ってみろ」
「おねがいです、私を縛ってください」
「もっと大きな声ではっきり言ってみろ」
「おねがいです、私を縛って」
「だめだ、もっとはっきり言え!」
ずいぶん、しつこく、私もやりました。
こういうシーンは、なるべくぐだぐだ、ぼそぼそ言ったほうがいいのです。
「おねがいしまァす、縛ってくださァい!」
なんて、明るく歯切れよく、元気にいさぎよく言われたら、味も素っ気もなくなる。


