2008/05/05
ナワシもバクシも……
緊縛ナイショ話・48
ナワシもバクシも嫌いだが、「調教師」という呼び名はもっと嫌いである。虫酸(むし
ず)が走る。
虫酸というのは辞書をひくと、胸やけなどのときに、胃から口の中に逆流するすっぱい
液、とある。虫酸が走るというのは、気分が悪くなるほどイヤでたまらない、ということ
だ。
女を縛って皮膚の上に火のついたロウソクをかざしてロウ涙をたらしたり、ムチで叩い
たり、鼻の穴に針金を引っかけてひろげたり吊ったり、肛門をいじりまわして浣腸したり
する。芸にもならない真似をして、何が「調教」か。
相手がそういう性癖をまったくもたない女だったらともかく、もともとその種のマニア
である女にそれをやらせたからといって、仰々しく「調教」というのは、おこがましい限
りである。
その程度の「芸」でお金をもらえるから、女はすこし我慢して、いいなりになっている
だけのことである。
それでなくても複雑怪奇、裏も表も二重三重にあるしぶとい女の心、女の肉体を、そう
かんたんに「調教」できてたまるものか。
芸にもならない芸をやらせ、それを「調教」などと呼称して、さも凄いことのように扱
うから、マニア誌もマニア映像も、本物のマニアたちから軽蔑され、支持を失い、見放さ
れるのである。
彼らのいう「調教」がそんなに凄いことならば、そういう写真や記事をのせている雑誌
も映像もマニアたちに歓迎され、支持されて繁栄するはずである。
それがどうだ。結果はごらんのとおりである。形だけ、うすっぺらな表面だけで、縛ら
れ。責められている女の「心」のない「魂」のない写真や記事や映像が、第三者の欲求に
触れるはずはない。
テキヤのことを「香具師」と書く。テキヤと「調教師」を一緒にしては申しわけないが、
香具師の場合の「師」は、わかる。
森羅万象、人間世界のあらゆる裏表に通暁し、マニアでもない大衆を、話芸をもって説
得し、納得させてしまう「芸」を、テキヤさんたちは持っている。フーテンの寅さんのし
ゃべりは、まさしく芸である。
テキヤのことを、的屋とも書く。
テキヤを辞書でひくと、「的屋」と出ている。ねらいがうまくあたれば儲かるもの。大
道などで言葉巧みに安物を売りつける商人、とある。
うまく的(まと)にあてようとするから的屋である。
二、三日前にも私は「縛り係」として、撮影の現場にいた。
全裸にして後ろ手に縛りあげたモデルをうつぶせにさせ、尻の下にオシメを敷き、その
オシメの中に、コンビニで買ってきたカレーのルウを溶かしたものを流した。
(断っておくが、私は縛り係なので彼女を縛っただけである。あとは現場のスタッフの仕
事である)
これなどはまあ、的屋的テクニックであろう。女体を縛ってさまざまなポーズをつけ、
それを写真に撮って「緊縛写真」あるいは「責め写真」としてマニア相手に商売し、利益
を得ようとしている人たちも、私にはどうも的屋にみえる。
私もその片棒をかついでいるのだから、じつはあまり批判的なことを言えない。
だが、あまりにも形だけにこだわり、この種の写真を創る目的から逸脱している姿をみ
ていると、やはり何かひとこと、言いたくなってしまう。
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ナワシもバクシも嫌いだが、「調教師」という呼び名はもっと嫌いである。虫酸(むし
ず)が走る。
虫酸というのは辞書をひくと、胸やけなどのときに、胃から口の中に逆流するすっぱい
液、とある。虫酸が走るというのは、気分が悪くなるほどイヤでたまらない、ということ
だ。
女を縛って皮膚の上に火のついたロウソクをかざしてロウ涙をたらしたり、ムチで叩い
たり、鼻の穴に針金を引っかけてひろげたり吊ったり、肛門をいじりまわして浣腸したり
する。芸にもならない真似をして、何が「調教」か。
相手がそういう性癖をまったくもたない女だったらともかく、もともとその種のマニア
である女にそれをやらせたからといって、仰々しく「調教」というのは、おこがましい限
りである。
その程度の「芸」でお金をもらえるから、女はすこし我慢して、いいなりになっている
だけのことである。
それでなくても複雑怪奇、裏も表も二重三重にあるしぶとい女の心、女の肉体を、そう
かんたんに「調教」できてたまるものか。
芸にもならない芸をやらせ、それを「調教」などと呼称して、さも凄いことのように扱
うから、マニア誌もマニア映像も、本物のマニアたちから軽蔑され、支持を失い、見放さ
れるのである。
彼らのいう「調教」がそんなに凄いことならば、そういう写真や記事をのせている雑誌
も映像もマニアたちに歓迎され、支持されて繁栄するはずである。
それがどうだ。結果はごらんのとおりである。形だけ、うすっぺらな表面だけで、縛ら
れ。責められている女の「心」のない「魂」のない写真や記事や映像が、第三者の欲求に
触れるはずはない。
テキヤのことを「香具師」と書く。テキヤと「調教師」を一緒にしては申しわけないが、
香具師の場合の「師」は、わかる。
森羅万象、人間世界のあらゆる裏表に通暁し、マニアでもない大衆を、話芸をもって説
得し、納得させてしまう「芸」を、テキヤさんたちは持っている。フーテンの寅さんのし
ゃべりは、まさしく芸である。
テキヤのことを、的屋とも書く。
テキヤを辞書でひくと、「的屋」と出ている。ねらいがうまくあたれば儲かるもの。大
道などで言葉巧みに安物を売りつける商人、とある。
うまく的(まと)にあてようとするから的屋である。
二、三日前にも私は「縛り係」として、撮影の現場にいた。
全裸にして後ろ手に縛りあげたモデルをうつぶせにさせ、尻の下にオシメを敷き、その
オシメの中に、コンビニで買ってきたカレーのルウを溶かしたものを流した。
(断っておくが、私は縛り係なので彼女を縛っただけである。あとは現場のスタッフの仕
事である)
これなどはまあ、的屋的テクニックであろう。女体を縛ってさまざまなポーズをつけ、
それを写真に撮って「緊縛写真」あるいは「責め写真」としてマニア相手に商売し、利益
を得ようとしている人たちも、私にはどうも的屋にみえる。
私もその片棒をかついでいるのだから、じつはあまり批判的なことを言えない。
だが、あまりにも形だけにこだわり、この種の写真を創る目的から逸脱している姿をみ
ていると、やはり何かひとこと、言いたくなってしまう。
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